山本篤は事故で義足になった経緯やプロフィールを徹底調査!

2021年8月22日

東京パラリンピック 2020山本篤

パラスポーツの陸上界隈では、名前を知らぬものはいないと言われている「山本篤」さん。東京パラリンピック2020の陸上競技に選出され、金メダルを目指します!

そんな山本篤さんのプロフィール、経歴、学歴、母親、嫁さんに息子さんについて調査をしました。

 

山本篤のプロフィール

 

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名前:山本篤(やまもと あつし)
生年月日:1982年4月19日
年齢:39歳(2021/8時点)
出身:静岡県掛川市
身長:167cm
体重:59kg
兄弟:3人兄弟の真ん中
競技:走り幅跳び
障がい種別:障害種別:(立位) 切断・機能障害
障がいクラス:T42(片大腿切断(膝関節離断含む)または片側下肢の膝関節と足関節の機能の全廃したもの)

SNS:インスタグラム

 

山本篤の経歴(事故、陸上競技との出会い、記録)

 

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小学生では野球、中学生と高校ではバレーボールをしており、高校時代の垂直飛びでは1mを超える驚異的なジャンプ力を持っていました。

しかし、2003年3月、高校2年生の春休みにスクーターで事故を起こし、左脛骨を粉砕骨折する大けがを負い、手術で左足を大腿から切断しました。

その日は風邪薬を飲んでおり、スクーターを運転中に眠気をもよおしてしまい、カーブで転倒してすべり、バードレールに足が衝突してしまったという事情があったそうです。

脚の切断出後に山本篤さんは「今、写真撮っといたほうがいいんじゃない?」「僕が有名になったときにその写真使えるよ」と明るく言ったそうです。メッチャ前向きです。

このとき義足との出会いから義肢装具士を志し、高校卒業後は名古屋の日本聴能言語福祉学院義肢装具学科に入学します。義足サポート研究者の稲葉さんの勧めで陸上競技の道に入りました。

出場した大会では日本記録を出すなど活躍するものの、2004年3月のアテネパラリンピックへの出場を逃してしまいます。

義足装具士の国家資格を取得し就職も決まっていましたが、パラリンピックを目指すために、2004年4月に大阪体育大学体育学部に入学することに。そこで入部した陸上競技部では走り幅跳びで日本記録を塗り替え、世界ランキング上位の実力を見せつけました。

2008年にはスズキ株式会社に入社し、日本代表で出場した北京パラリンピックでは、走り幅跳びで銀メダルを獲得します。その後、大阪体育大学大学院体育学博士課程に進み運動力学を研究する中で、義足の改良を行い、自己日本記録を更新し続けました。

2012年:ロンドンパラリンピックでは、走り幅跳びで入賞。

2013年: IPC 陸上競技世界選手権大会の走り幅跳びで金メダルを獲得。

2014年:アジアパラ競技大会では、100m、走り幅跳び、400mリレーで金メダルを獲得、200mで銀メダルを獲得。

2015年10月:IPC 陸上競技世界選手権大会の走り幅跳びで金メダルを獲得。

2016年5月:日本パラ陸上競技選手権大会では走り幅跳びで3m56cmを出し世界新記録を樹立。

2016年9月:リオパラリンピック走り幅跳びで銀メダル、400mリレーで銅メダルを獲得。

2017年9月末:スズキ株式会社を退社。

2017年10月:新日本住設とスポンサー契約を結びプロに転身。

2021年8月:東京パラリンピック2020の陸上に出場!

 

山本篤のインタビュー

山本篤さんはインタビューで競技に対する哲学とパラスポーツの考えについて、次のように答えています。

脚がなくなったら何もできなくなる、というイメージは持っていなかった。
むしろ、脚がなくなってもスノボはしたいな、っていうことを考えていましたね。
引用:GO Journal

競技の主軸は陸上であるものの、スノーボード競技へも本気で取り組んでいるそうです。もともと中学1年のとき一番好きなスポーツがスノボだったそうです。事故で脚を切断することになった際も、脚を切ってもスノボができるか?とドクターに聞いたほどだとか。

スポーツを通じて自分を追い込んで勝負に「勝つ」ことへ強い想いがあるそうです。

山本篤さんはアスリートでありながら国家資格である義肢装具士を持っており、義足の理論に深い知識を持ったうえで義足の改良やメンテナンスを行えることが強みとなっているのだとか。

2010年以降、義足を使ったアスリートが健常者の記録を上回る成績で優勝したことに対して「テクニカル・ドーピング」という議論が頻繁にされています。

これに対して、山本篤さんはこう語っています。

「障がい者が健常者より強くあってはいけないんだ」
っていう人間の心理が、まだまだ強いからだと思うんです
引用:GO Journal

パラアスリートがオリンピックに出場するためには、「義足が有利に働かないということを証明しなければならない」という規定が存在するそうです。でも、これを証明することは実質無理だと山本篤さんは述べています。それは、山本篤さんがデータを見る限り、義足自体が有利に働くといったデータが見られるそうです。

陸上競技からの「引退」については、東京パラリンピック2020になるのではないかと言っています。まだ金メダルを獲得したことがないため、金メダルを取って引退したいと望まれています。

パラスポーツの陸上競技において、山本篤の名前を知らない人がいないと言われているほど有名なアスリートですので、東京パラリンピック2020では是非金メダルを獲得して欲しいです!

 

山本篤の学歴(小学、中学、高校、大学)

  • 静岡県の掛川市立和田岡小学校
  • 静岡県の掛川市立桜が丘中学校
  • 静岡県の県立掛川西高等学校(事故で脚を失う)
  • 名古屋県の日本聴能言語福祉学院(義足技師を目指す)
  • 大阪体育大学体育学部(本格的に陸上に取り組む)

 

山本篤の母「山本鈴子」

山本鈴子 山本篤の母

山本鈴子さんは篤さんを育てる中で「逆を突いてみる」ということに気づいたそうです。山本篤さんは反発したいタイプの子だったらしいです。そこで鈴子さんは次のように考えたそうです。

あるとき私は、あえて子ども部屋にテレビとゲーム機を置いて、「リビングにいないで子ども部屋に行きなさい」と言いました。そうしたら逆に、みんなゲームはせずにリビングに集まるようになったんです。そこで私は気づきました。ストレートに〇〇しなさいというのは、必ずしも有効ではないのだと。
引用:ATHLETE MOTHERS NO.8 山本篤の母

鈴子さんは篤さんには自由に生きること、人生を選ぶことをさせたそうですが、人生における節目では、目的を明確にさせたそうです。例えば、篤さんがやりたいことを選ぶとき、進学を希望するとき、目的のはっきりしないことには賛成しなかったそうです。

篤さんについては、鈴子さんは「天から与えられたもの」だと感じており、もし健常者であったら、競技で世界一を競っている篤さんはいなかったかもしれないと感じているそうです。

篤さんの天性の明るさと脚を失うという障害が相乗効果で宇宙最恐を目指すアスリート「山本篤」が生まれたのかもしれませんね。

 

山本篤の家族(嫁、長男、次男)

山本篤さんはご結婚されており、綺麗な奥様(山本幸子)と2人の息子さんがいらっしゃいます。

 

 

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12月24日にハワイで結婚式を挙げています。綺麗な奥さんですね!小学校の先生をやっているそうです。

山本篤さん夫妻が 「金のスタミナスープ献立」調理に挑戦!

 

 

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こちらが2018年に生まれた可愛い長男「駿太(しゅんた)」」くんです♪

 

 

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2021年7月に誕生した次男の「颯太(そうた)」くん。

 

山本篤の競技映像

山本篤さんの走り幅跳びの跳躍力が見られる映像がこちら。

 

山本篤さんは走り幅跳びだけではなく短距離種目でも記録を出しています。

 

パラリンピック2020に向けて意気込みを語る!

 

東京パラリンピックの陸上の日程

8月27日(金)~9月5日(日)

 

まとめ

パラスポーツの陸上競技において、強靭な精神で日本記録を何度も塗り替え、世界ランキングを競い合う山本篤さんについて調査しました。

  • 高校2年のときにスクーターの事故で左脚を失う
  • 義足に感動し、義肢装具士とアスリートを両立させる
  • 100m、200m、走り幅跳び、400mリレーなど多数の競技に出場
  • 競技に対する哲学とパラスポーツの考えのインタビュー
  • 母「山本鈴子」さんの自由にやらせる育児
  • 山本篤さんの競技映像の紹介

東京パラリンピック2020では、山本篤さんには是非「金メダル」を獲得して欲しいです!

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