中西麻耶選手がかわいい!事故で義足になった経緯を調査!

東京パラリンピック2020 中西麻耶 陸上 選手

中西麻耶さんはパラリンピック界隈では走り幅跳びの女王という異名を持っており、かわいいルックスと力強さを兼ね備えたパラリンピアンです。事故で義足になってからパラ陸上競技に挑んでおり、そんなかわいい中西麻耶さんのプロフィールや経歴を調査しました!

 

かわいい中西麻耶のプロフィール

 

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名前:中西麻耶(Nakanishi Maya)
生年月日:1985年6月3日
年齢:36歳(2021年8月時点)
血液型:A型
種目:短距離走、走幅跳
所属:阪急交通社

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中西麻耶の小学時代は森の中で遊ぶ日々

 

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小学4年生のとき、父親が会社を辞め大分県の庄内で椎茸の栽培をすると言い出したため、大阪から大分に転校になりました。

転校先では全校20名しかおらず、複式学級で妹と一緒の教室で勉強することになり、父を何度も恨んだのだとか。遊びに関しても、都会では経験することのない森の中での遊びいかに工夫するかを兄妹3人で工夫したそうです。

 

中西麻耶の中学時代にソフトテニスに出会う

 

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由布市立庄内中学校に進学した中西麻耶さんは、屋外スポーツのソフトテニスに入部し、ソフトテニス漬けの日々を過ごしたそうです。この部は幽霊部員が多く、県大会では一回戦敗退校という残念な結果に終わってしまいます。

「全国に近い高校に入学すれば必ずNo.1になれる」という自信があり、ソフトテニスが強い明豊高等学校のみを進路を決めていました。しかし、明豊のソフトテニス部はスポーツ推薦がないと入部できないことを知り、明豊の顧問の先生に直電したそうです。

すると、顧問の先生から高校の部活に来てみるように言われました。

部活では上級生とペアを組み試合をすることになったのですが、その日はソフトテニスの神が舞い降りたかのような日だったらしく、打てば決まる、そんな奇跡が起こったそうです。その結果、明豊に入学することになりました。

 

中西麻耶の高校時代に体験した挫折

 

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大分県別府市にある明豊高等学校在学中に、ソフトテニスの選手として全国高等学校総合体育大会(インターハイ)及び国民体育大会に出場しました。

高校最後の県大会では大分商業に負けてしまい、試合後には初見のOGからメチャクチャ怒られてしまったそうです。この時の受けたショックから立ち直れず、大学進学やスポーツを続けることを諦めてしまいました。

もしこの時、スラムダンクの安西先生のような監督が「諦めたら、そこで試合終了ですよ」と励ましてくれていたら、スポーツの道を迷わず歩んで行けたかと思います。

 

中西麻耶は一般社会人として働く

 

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2004年3月に高校を卒業した後は社会人として働いていました。同級生が大学で活躍している姿を見て、自分はなぜソフトテニスを諦めてしまったのだろうという気持ちが沸き上がりました。

そんな中、2008年に地元で国体が開催されることを知った中西は、国体に出場すべく、鉄鋼塗装を経営している親友のお父さんからの支援を受け、2006年の春にソフトテニス競技に復帰しました。

 

中西麻耶が遭遇した事故について

 

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2006年9月、21歳のときに勤務先で5トンの鉄骨が4本ともドミノ倒しのように中西さん目がけて倒れて、右足を挟まれ大怪我を負いました。医療センターに運ばれ看護師さんがズボンを切ったら、骨が飛び出しており、指も血が通っていない色になっていました。

これを見たときに、「あぁ多分、私の足、もう駄目なんだろうな」と思ったそうです。

医療センターから大分中村病院に搬送され、脚を切断するか、接合するかという選択肢を迫られました。

主治医の先生に「2008年の大分国体に出場したい」ことを伝えたところ、義足ならばソフトテニスの体重移動を支えられると言われ「切断が選手としての近道だ」という結論に至ったそうです。

このとき「一生を通じてスポーツマンでいたい」という強い気持ちがあり、全てをかけて全てをスポーツに捧げるという覚悟をした瞬間でした。

2007年8月に義足を履いたときには、周囲の人々からの「障がい者はハンディがあるから、最初から夢なんか見ない方が幸せだよ」というメッセージに負けたくないという思いがありました。

 

中西麻耶の北京パラリンピック

 

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2008年の北京パラリンピックには根性だけで出場を果たし、100mで6位入賞、200mで4位入賞の成績を残しました。

 

中西麻耶のロンドンパラリンピック

 

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2008年に渡米し、アル・ジョイナーコーチの指導を受けました。

2009年9月のジャパンパラリンピックでは走り幅跳びで日本記録を出すことに成功しました。

このとき、日本人でしかも障がい者が海外に拠点を置いて海外のコーチを付けること、着飾ること、輝くことは許されない風潮があり、ひどいバッシングを受けました。

また、月額1万円程度でホームステイさせてくれる家を転々としていましたが、活動資金が底をつき、公園で野宿をしながらトレーニングを続けたこともあったそうです。

2011年には世界選手権がありましたが、渡航費用等が不足したことから、参加することができませんでした。

そこで活動資金を調達するために、2012年3月にセミヌードカレンダーを発売しました。このとき競技でできた借金300万円があり、さらにセミヌードカレンダーを自費出版するために借金を重ねました。

中西麻耶さんはこのセミヌードカレンダーの発売を通じて2つメッセージを世間に伝えたかったそうです。

  • パラリンピックに出る競技力があるのに、お金が理由で出られない苦しい状況を知ってほしい
  • 障がいの部位や義足を隠すことが普通だった状況に一石を投じたかった

セミヌードカレンダーの写真を見ましたが、とても綺麗で引き締まった健康的なスタイルが魅力的でした。

2012年のロンドンパラリンピックでは、100m、200m、走り幅跳びの3種目で出場を果たしましたが、日本国籍を持たないコーチのジョイナーさんはコーチ席に入れないと言われてしまい、競技の成績は散々な結果に終わりました。

大会後はバッシングと野宿生活のダブルパンチに心が負けてしまい、引退を表明しました。

 

中西麻耶のリオデジャネイロパラリンピック

 

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2013年3月8日に自信のブログにて現役続行を表明しました。このキッカケとなったのがフランスから電話をくれたジョイナーさんからの励ましの言葉だったそうです。

現役続行したものの、活動資金の状況は厳しく、2013年の世界選手権には参加できませんでした。

2013年10月13日に開催された全国障害者スポーツ大会に出場し、走り幅跳びで自己ベストを更新し、佐藤真海さんが持つ日本記録を16cm上回る5m18cmで優勝しました。

しかし、この大会では2020年の東京パラリンピックを招致するために佐藤さんがクローズアップされていたこともあり、優勝した中西さんに対して「空気読めよ!」という批判的な言葉を投げかける人もいたそうです。

中西さんが出した新記録については、国際パラリンピック委員会(IPC)公認大会ではなかったため、幻の記録となりました。

2014年9月7日の2014ジャパンパラ陸上競技大会では、走り幅跳びで自己ベストを更新し5m27cmで優勝し、日本記録を更新。

2016年4月9日の新日本製薬大分パラ陸上2016では、走り幅跳びで自己ベストを5m48cmで更新し優勝。

2016年5月1日の日本パラ陸上競技選手権大会では、走り幅跳びで自己ベストを5m51cmで更新し優勝。

2016年のリオデジャネイロパラリンピックでは、100mは予選敗退したものの、走り幅跳びでは5m42cmで4位の結果を残した。

 

中西麻耶の東京パラリンピックに向けて

 

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2017年7月の世界パラ陸上競技選手権大会では、走幅跳で3位となり、国際大会で初のメダルを獲得。

2018年10月のジャカルタ アジアパラ大会では、走り幅跳びで5m44cmを記録し優勝。100mでは14秒48で2位にランクイン。

2019年11月のドバイ世界パラ陸上選手権大会では、走り幅跳びで5m37cmで優勝し、2020年東京パラリンピック出場が内定した。

2020年9月5日の日本パラ陸上競技選手権大会では、走幅跳びで5m70cmで優勝し、アジア記録・日本記録を更新した。

2020年からは阪急交通社に所属になりました

 

中西麻耶の走り幅跳びの動画

中西麻耶選手の力強い走り幅跳びでアジア記録を更新したときの動画です。

 

中西麻耶の結婚について

現在は結婚しているという情報は見当たりませんでした。

巷では「娘がいる」という噂がありますが、これは愛犬のことを指しているようです。

また、彼氏がいる、という情報もありませんでした。

 

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中西麻耶と加藤大治郎について

中西麻耶さんは元バイクレーサーの加藤大治郎さんの大ファンであり、加藤選手の誕生日である7月4日が由来となっている「74」という数字を、2016年のリオパラリンピックの時に使用した義足のデザインに用いています。

 

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中西麻耶が出演したCM

なんとGoogleのCMに出演しています。凄いです!

 

まとめ

美しすぎる走り幅跳び選手の中西麻耶さんについて、多方面に渡り調査しました。

  • 小学生から高校まで
  • ソフトテニスから陸上への転身
  • 事故により左脚を切断したこと
  • 大会での活躍と苦難
  • セミヌードカレンダーの発売を通じたメッセージ
  • 未婚であること
  • 出演CMについて

東京パラリンピック2020では、金メダルを獲得できるように応援していきたいです!

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